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先日も書いた認可保育園の入園について

・・・まだ通知が来ません。冗談で「どこにも引っかからなかったらどうしよう?」などと
家族と話してはいたものの、ひょっとすると本当にそうなる可能性もあることを
覚悟しておかなくてはいけないのかもしれません

昨年4月から無認可保育園には預けているので、もし認可園がダメだった場合
現在の無認可園に通園を継続することになります
どこにも預け先がないわけではないので、その点はまだ安心なのですが
無認可園は認可園と比べてやはり保育料が高く、その負担はとても大きいです

保育料が不当に高いとは思っていません
特に0歳、1歳の小さい手のかかる赤ちゃんを、丸一日あの料金で預かってくれる
若い先生方の努力には本当に頭が下がります
他人の子を預かって安全に、健やかに、楽しく過ごさせる場なのだから
先生方には適正な給与をお支払いしたい、と思っています
問題は、私がいま現在得ている収入が保育料に見合っていない、
ということであって・・・
(3歳までは手がかかるので、仕方ないとは思っているのですが)


今回の4月入園に関しては、フルタイムの会社員ではないため
基準点数が低いことが不安の種です
預け始めた当初、まだ0歳だった子どもを慣らす意味で、また何より、
あんなに小さな赤ちゃんを他人の手に委ねることに自分自身が
慣れるために、週2から徐々に預ける日数を増やしていきました

ところがうっかりしていたため、ある時期から急に園児が増え、
週5日の月極め枠はいっぱいになってしまい、通園は週に4日
しかも時間も6時間ほどの短時間枠しか空いておらず、
時間延長も出来ないことになってしまいました

この状況がフルタイム勤務の人と比べてどれほど不利になるのか、
考えると不安はつきません
4月の入園申請をにらみ、保育の実績づくりを考えた保護者が
どれだけ多かったか、ということです


それは、激戦と言われるこの地域においては当然の戦略です
子どもを預けて働く、という選択をした人には、この能力がないと
勝利=認可保育園の入所決定を得ることは難しいのが現状なのです

けれど・・・これは、本当に正しいことなのでしょうか?

経済用語に「合成の誤謬」という言葉があります
各個人レベルで最適な解を求めた結果、集団としては
望まない思わぬ方向に物事が進んでしまう、という意味ですが
認可園入園に関しても、同じことが起きているように思います

入園出来ないと働けないのだから、何としてでも入園する、そのためには
あらゆる手段を使うことになります
その結果、現在の枠組みは大して変わらず、入園テクニックを
駆使した人でないと勝利は得られないことになります

具体的に言えば、本当は1歳、1歳半くらいまではせめて子どもと
過ごしたい、と思っても、0歳児の頃から職場復帰して
「保育に欠けている」とされる実績を作る、というのがそれです
一人か二人しか産まない子どもなのに、働き続けるためには
その可愛い盛りの時期を他人に委ねるしかありません

反対に、仕事に未練はあっても、せっかく産んだ可愛い我が子を
側で見守るためには、仕事を辞めるかあるいは大幅にペースダウンして
自分のキャリアを犠牲にするしかない・・・
どうしてこんなに、選択肢が少ないのでしょうか?

テクニックが高じて、先日ネットでみかけた人の中には
驚くべきことに「ペーパー離婚して母子家庭加算を利用すべき?」
とまで考えている人がいて驚愕しました
・・・いくらなんでもそこまでは・・・

自分のペースで育児に取り組み、ゆっくりキャリアを積み上げていく、
そうした働き方がなかなか出来にくいのが現状ですが
これは「そういう風に仕組みを変えて下さい!」と主張出来なかった
これまでの親たちの、消極的選択のせいなのかもしれません

育児休暇中の社会保障費負担分は、雇用保険から出ます
しかし、保育の拡充に関する費用は、税収から賄われます
税金の使い道は子どもや若年層よりも、もはや確実に票に結びつく
中高齢者層向けになってしまっています
これだけ待機児童が多く、少子化対策と謳ってもなかなか保育園が
増えないのには、それなりの理由があります


今回、この不況下で働き始めようという母親が増えたことで、
保育園申請者が増加し、入園出来なかった人々の問い合わせが
各自治体に殺到しました
これは主に都市部での現象と思うのですが、全国ニュースにもなり
非常に注目されました

テレビに映った母親たちは、ときには涙まで浮かべながら
「働くしかないのに、保育園に預けられないのは困る」
と窮状を訴えます
こうなって初めて、世間は「ああ、保育園に子どもを預けられないって
大変なことなのね」、と認識してくれたことでしょう


いくら保育園入園に関する「受験テクニック」を磨いても
結果的にはだめ、ということなのでしょう
「困っているんです」という声を集約して、きちんと自治体や国に訴え、
仕組みを見直してもらうように働きかける
この地道な取り組みをきちんとこなさないといけない・・・
そういう覚悟が、きっと、もっと必要なのです

・・・でもみんな、自分の子どもの大変な時期が過ぎると
忘れてしまうのですよね(自戒を込めて)


子どもを持ってしまったということは、いつか自分の息子や娘が
自分と同じ思いをする可能性がある、ということです

そのとき
「どうして親の世代は、こんなことを解決出来なかったのか?」
そう思われないように、自分に出来ること・成すべきことは
きちんと声を上げてやっていきたい
そんな風に思います

本当は、こんなことを書いても自分に一体何が出来るのか?
さっぱりわかっていません
でも、忘れないために
ここにきちんと書いて、表明しておきます
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2009.02.26 Thu l 思うこと l COM(4) TB(0) l top ▲
先日、友人と会っていたときに話題になりました

「ワークライフバランスっていうけど、実際はバランスとるとか、そういう話じゃないよね」

そう、仕事とそれ以外の人生の時間的・精神的リソースをうまく配分出来れば
充実した人生になるかというと、決してそういう問題では
ないように思うのです

でも、今のところこれに変わる言葉や概念は生まれていないので
こうした話題はすべて「ワークライフバランスが取れているか・いないか」、という
観点で語られてしまいがちですが・・・

バランスが悪くたって、自分でそれを選びとったんだから、と納得出来るものなら
きっと出生率だって、もっと変わったものになっているはず

ビジネス社会の概念で、人の幸せや満足、思いなんかが
果たして本当に測りきれるとは、私には思えません

バランスを重視してしまうと、例えば家庭を考えた場合
どれだけ同じ時間を共有し、どれだけ個々の時間を許容するか、ということになれば
そこに利害関係者としての対立も生まれます
お互い自分だけの自由を求めれば、時間のぶんどり合戦になってしまうし
どちらかが相手に過剰に譲ってしまっても
そのツケはいつか違う形で姿を現します

バランスを取ることよりも、どういうプロセスでお互いが納得しあうか
そちらの方が、本当は重要なことなのではないでしょうか?
バランスが悪くてもうまくいっているように見える家庭は、
きっとそのプロセスに、お互いが(それなりにでも)納得しているはずです


平均寿命からすれば、人が家庭を営んでいる期間は
かなり長期間にわたります
本当の意味でゆったりと、豊饒な人生を送るために必要な言葉は
きっとまだどこかに隠れているはず・・・

自分にとってのそんな「言葉」を、これからの自分の人生の中で
見つけ出していきたい
そんな風に思います
2009.02.05 Thu l 思うこと l COM(0) TB(0) l top ▲
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